■函館ラーメンのルーツ■

当時からあった函館塩ラーメン
当時をうかがい知る「ミス潤」の現在の主人、川上晶氏(59歳)は、「支那そばと言えば、まっすぐな細麺と、澄んだ色をしたあっさりしたスープだった。客は皆、丼を両手で持ち上げて最後までスープを飲み干していた」と若かりし頃のラーメンの思い出を話してくれた。
 十字街を西へ進んだところにある大町は、当時、仲浜町といい、明治中頃には、豪奢を極めた「カントン屋敷」と呼ばれる華僑が軒を連ねていた一帯だった。日支貿易華やかな頃、広東さんと呼んで親しんだ華僑の味が、函館の人に伝えられたことは間違いないだろう。
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