■函館ラーメンのルーツ■

北洋漁業全盛期に定着した支那そば
明治43年に開館された中華会館と同時にオープンしたのが支那料理「蘭亭」という店。北洋漁業で景気がよかった当時の函館で大繁盛していたという。この「蘭亭」のあった、函館一の繁華街、十字街周辺は、カフェーを始め、銀行やデパート、活動写真館、料亭や演舞場などが立ち並ぶ賑やかなところであった。その十字街周辺、恵比須町(現、宝来町)と呼ばれた一角の銀座通りは数百のネオンが輝く華やかさで、喫茶店やカフェー、バーなどが軒を連ね不夜城のようであったという。その銀座通りにあった「支那そば 笑福」の写真が残っていた。大判ののれんに大きく「支那そば」の文字が見える。残念ながら右上が切れてしまって正確には確認できないが、おそらく“専門食堂、支那そば”と表記されているように思える。現存するこの写真は、昭和9年に未曾有の大火が函館を襲った翌年、昭和10年のもの。この「笑福」の隣にあった純喫茶「ミス潤」(現、宝来町22-19)に今も残る昭和7年のメニューには、ケーキやみつ豆と並んで“ラーメン(支那ソバ)/15銭”とある。当時のコーヒーの値段が10銭ほどだから、ほぼそれくらいの値段で、支那そばが味わえていたのだ。大火後は、お隣に支那そば専門の「笑福」ができたこともあり、壁の小窓ごしに「笑福」のラーメンをお客に出していたという。当時の微笑ましい光景が目にうかぶ。
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